食器
和食器の楽しみ方について
和食器の楽しみ方の前にその伝来から文化に至り現在の有り様について知る必要があると思います。
伝来については、当時の日本における縄文時代、いわゆる土器として実用品として使用されていましたが高級品である為、装飾されたものは高貴な人物(族長等)の埋葬品として、昨今発掘されています。
しかしながら廉価版も徐々に一般社会に普及していきました。
当時の色は粘土をそのまま焼いていた為、黄土色です。
時代は遡って平安・鎌倉時代にはほぼ品質も確立され宮中から一般家庭(ただし裕福層)武家を含んで普及するにいたりました。
ここまでは、まだ木器の占める割合も高かったと思います。
更に室町時代には中国の明王朝、隋王朝、唐王朝との貿易により、輸入され更に高貴なものとして知られるようになりました。
これらは富と権力の象徴として皇室や上級武士(征夷大将軍以下の幕府上流階級)の日用品、ものによっては嗜好品、贈答品として用いられる事となります。
同時期、陶匠も来日するようになり製作の技法・技術も伝授されたと考えられます。
余談になりますが、倭寇により連れ去られた中国人(当時は支那人と呼ばれていた)によっても普及の一端を担ったことでしょう。
戦国時代になると更に拍車がかかり、織田信長から豊臣秀吉までの戦国時代から安土桃山時代には、著名な松永久秀所有の九十九茄子(つくもなす)等が現代においても有名な一器として知られています。
武功の証として、本来ならば刀剣が君主から贈られるのが、この頃からは一流と呼ばれる品(黒蜘蛛に代表される)も加えられていきました。
これは武辺一辺倒の武士にも茶道の心得、すなわち京(公家)との繋がりを強化したいという思惑もあったからです。
その為、命に代えても敵に渡さなかった武将(前述の松永久秀)もいたほどです。
以降、徳川幕府の時代となり安定期に入りますが、依然として扱いとしては重要なものでした。
現代はそれらの歴史を受け継ぎながら、骨董品として又は新感覚の現代陶器として、一部の愛好家には貴重なものとして、更にこれを商いとして流通しています。
歴史に思いをはせるも良し、現代を愛でるも良し、人それぞれ楽しみ方はあると思います。
楽しみはその世界に入ってはじめて分かるもの。